本当に何故だか、ふと、最近の歌番組で昔の曲をやっている時にZARDの曲が全然流れないなと感じて眠れなくなった。今も坂井泉水さんの死因は謎めいているようですが、10代の頃によく聞いていてその歌声を忘れられない。
そこから関連して、昔聞いていたアーティストとその思い出を語ってみようかと思い、今回は特別編で昔懐かしき曲の紹介。ヨッピーノは音楽がすっごく苦手で歌がすごく下手だから、それだからこそ聴く側とし、どのような気持ちで聞いていたかを書いていきます。
なお、1アーティストに複数曲を紹介するととてもじゃないけど書ききれないから、1アーティスト1曲の紹介となります。
曲紹介は初めてなため、著作権等侵害している場合はすぐに削除します。全てYouTubeのリンクで紹介します。
※※※ 夜中に書いたからか、THE BACK HORN 「空、星、海の夜」とTHE BLUE HEARS「青空」は、友人の死に関することを書いており、重たい内容となっています。本当はあまり見ないでほしいですが、ヨッピーノの一部でもあるので記載しています ※※※
10代で聞いていた曲
ZARD 「マイ フレンド」
今回の記事のきっかけとなったZARD
どの曲も魅力的でよかったですが、「揺れる想い」や「負けないで」等名曲が多いですが、ヨッピーノは「マイ フレンド」を選びました。やはり当時は観ていなかったですが、SLAM DUNKの印象もあり、当時あちこちで聴いた気がするし、TVでもよく出ていた気がします。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 「世界の終わり」
ミッシェル!!工業高校出身のヨッピーノの周りではミッシェルが大人気!自然と聞くようになりましたが、世界の終わりはずっとヨッピーノの中で名曲として存在し続けました。活動期間は1991年 – 2003年とヨッピーノが知ったのは後半ですが、通学途中によくウォークマンで聴いていました。
D-SHADE 「ENDLESS LOVE」
活動期間は短く1995年~2000年の6年だけど、ポスターも持っていたし、発売しているシングルは7枚の全てを必ず買っていたほどの大ファンでした。高校時代にインディーズの番組であるBreak Outで「ALONE」を紹介され、一目ぼれ!!その後も「BELIEVE」、「ENDLESS LOVE」、「Truth」、「MYSELF」、「Dear… my love」と名曲続き。アルバムの曲も全て良かったです。
D†SHADEは実家の自分の部屋で曲を楽しみながら漫画を読んでいた時代を思い出します。
La’cryma Christi 「THE SCENT 」
知っている人も少なくなっているかもしれませんが、ヴィジュアル四天王の1つであるラクリマクリスティ。四天王でSHAZNAだけは聴く数が少なかったが、マリス、ファナと共にラクリマはよく聴いていました。活動期間はけっこう長く、1991年 – 2007年、2009年 – 2010年、2012年です。「Ivory Trees」に始まり、カラオケで歌うのが好きだった(本当に歌が下手で申し訳ない)「THE SCENT 」、「南国」、「With-you」・・・と四天王にふさわしい曲ばかりでした。
MALICE MIZER 「月下の夜想曲」
言わずと知れたマリス!!高校時代出席番号でちょうど席が前後だった友達とインディーズの話で盛り上がっていた時によくマリスの話題になりました。当時、フランスをイメージして、ミュージカルのようなライブを行っており、メンバーの一人は地元出身というのも相まって、ライブを見に行きたいという話をしていたがメンバーの一人が亡くなって、結局見に行くことができなかった。マリスのようなバンドは本当に唯一無二だった。Gacktがあまりにも有名になったけど、ソロよりこのマリスの時代が良かった。活動期間は1992年 – 2001年のようです。ちなみにヨッピーノはライブを今までに一度も見に行ったことがなく、マリスは上記のように見に行けず、違う友達に誘われて行こうとしていたマッキー(槇原敬之)のライブは、なんと逮捕されてなくなりました・・・
マリスも名曲ばかりで、「ヴェル・エール 〜空白の瞬間の中で〜」、「au revoir」(オ・ルヴォワール)、「ILLUMINATI」(イルミナティ)、「Le ciel 〜空白の彼方へ〜」(ル・シエル)等、甲乙つけがたかったですが、月下の夜想曲を選びました。
FANATIC◇CRISIS 「火の鳥」
ヴィジュアル四天王を紹介して、ファナを取り上げないのはダメですね。当然よく聴いていました。一番好きなのは、「Rainy merry-go-round」だけど、youtubeで見つからなかったので、「火の鳥」を紹介。「ONE -you are the one-」もよく聴いていたし、「心に花を 心に棘を」や「hal」も聴いていた。活動期間:1992年 – 2005年
ROUAGE 「Queen」
名古屋出身のバンドを紹介して、ルアージュを紹介しないのもこれまた違うよね。活動期間は1993年 – 2001年で、やっぱり2000年くらいで活動停止。部屋にポスターも貼ってたな・・・よく聴いていた曲は「白い闇」、「月の素顔」、「ever[blue]」、「冷たい太陽」、「angel-fishの涙」、「endless loop」いっぱいあるな・・・
19 「あの紙ヒコーキ くもり空わって」
専門学校時代にちょうど年代が同じだったのと、心情が一致したので、よく聞いてました。友達と学校近くの貯水池のベンチの屋根に登って紙ヒコーキを作って投げてたりしました。懐かしい・・・
活動期間は、1998年 – 2002年で解散したのがショックでした・・・アルバムの「音楽」のあの語りかける「音楽で話そう 言葉なんて追い越してさぁ・・・ この地球の言葉で・・・」というのは何故か心の中に残り続ける・・・
20代で聞いていた曲
THE BACK HORN 「空、星、海の夜」
最近では、ガンダムの曲も歌うザ・バックホーンですが、今でも忘れない、1社目の通勤途中、普段は聞かないラジオ(CROSS FM)を何気なくつけていたら、耳に残る歌が、それが「空、星、海の夜」でした。何か切なくて何か悲しくて、就職したはいいけど、このような生活を続けてていいのかと何故か考えていた時期にグッと胸に刺さりました。当時、一人で門司にある港の近くに車で行き、この曲を聴きながらぼーっと何かを考えていることが多かった。ちなみに今はどうか分からないけど、当時は、パトカーや覆面がしょっちゅう見回りにきて、治安はお世辞にもよくない場所だったけど、人が少なく、誰にも邪魔されない場所はそんなにないから、ぼーっとするのにちょうど良かった。
そして、当時高校時代からすごく仲の良かった友達が車の事故で亡くなった。今の福津市かな、少し離れたところに住んでたけど、定期的に会って、もうすぐまた連絡取って遊ぼうとしていたタイミングだった。その当時、飲酒運転と言われていたが、親に挨拶に行ったとき、当時一緒に食事していた人に話を聞いていて、その友達は飲んでいなかったと言っているけど、警察はトイレに立った時に飲んだかもしれないとか、色々なことで聞く耳を持たなかったと聞いた。その後どうなったか分からないけど、当時は全国ニュースで司法解剖等で飲酒していないにも関わらずアルコールが検知されるということがありました。その可能性ではないかとヨッピーノは今でも思っています。
心の中はすごく荒んで、友達が死んだのが自分の中で消化しきれず、友達が吸っていた赤ラークを吸って、悲しみを紛らわそうとしたけど、結局立ち直るのに1年くらいかかったな。。当時の思いとしては、死ぬよりきついことがない!心を殺してしまえば、どんなに辛く見えることでも自分自身は辛くないと、何か一つの感情をなくしたような感じだったけど、これで関東にくることを決心できた。当時の自分は人と話すのが苦手で、知らないところだと本当に話すことができない状態だったし、仕事も周りの国立大卒の人たちに比べて全然できなかったけど、死ぬ気になればなんでもできると思い、上京を決めたことを今でも忘れない・・・
X JAPAN 「Rusty Nail」
Xは、本当に色んな曲、ほぼすべての曲が好きだけど、「Rusty Nail」は、上で書いた友達が好きだった曲。一緒にカラオケで歌っていたのが心の中で残り続けている。
くるり 「東京」
遠い存在だった東京にきて、たまに方言が出たり、当たり前のことが分からなかったりした時に聞いていた曲。関東に行くことにした時、上京してからもよく聴いてました。
ケツメイシ 「東京」
ケツメイシは、ケツノポリス(アルバム)をいっぱい持っております。上京してからケツメイシで一番聴いた曲かな。特別に思い出す人はいるかは微妙だけど、寂しがりやのヨッピーノには胸に響きました。
動画が非公開になりましたが、本当によく聴いていました。
THE BLUE HEARS「青空」
古い曲ですが、この曲にも思い入れがあり、今のSDGsでももっと取り上げられて良い曲だと思いますが、そうではなく、これも今は亡き友人がよく聴いていた曲です。
思い出すだけで悲しくなりますが、横浜に住んでいた時に万博(愛・地球博、愛知万博)がありました。そこに専門学校時代からの友人(名古屋在住)と一緒に遊びに行ったのですが、その2週間後に千葉で自殺しました。後から聞いた話だと鬱だったとのことですが、その当時全く気付かず、何で気付いてあげられなかったのか、今でも自問自答をする時があります。
併せてに思い出すのが、最後一生懸命みんなで捜しまわったことです。(この時の警察(千葉東署と船橋駅前の交番)の対応が本当にあり得ませんでしたが、ここで書くのは控えます)
死亡推定時刻前の21時くらいに最後のメールがきて、今までありがとう、地元の友達にも・・・という内容だったのが本当に辛かったです。相談相手にもなれなかったのも本当に辛くて・・・この曲を聴く度に思い出しますが、本当に良い曲です。
この曲が好きだけど、変な印象がついてしまった人には申し訳ないけど、ヨッピーノの過去の話で、忘れられない出来事だったので・・・
175R「空に唄えば」
上京して、聴く曲のNo.1はやっぱり空に唄えばです。175Rは地元の商業高校のメンバーで結成され、同年代。直接の知り合いではないがやはり地元からメジャーになった人たちは応援したいもの。このMVはおもしろく、小倉駅を出発して東京駅までの車窓がメインで、上京したヨッピーノはすごく共感しました。
今回は特別編で、ヨッピーノの思い入れのある曲の紹介をしましたが、過去に観た映画も後日紹介できればと思います。
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